廃墟に魅せられて – その1(後編)

廃墟

こんにちは、翁です。
自分で書いておいてアレですが、書く人間は私だけなのでいい加減名乗りは要らない気がしてきました。

 

 

 

前回の廃墟記事が思ったよりも画像が多く長ったらしいものになった為(建物も複数ありましたし)、2部に分けたうちの後編。

今回は校舎を見ていきます。

 

 

 

〜しっかし、こう言ってはなんですが、改めて眺めると「強めの台風が来たら半壊(または全壊)しそうな危うさ」を感じる外観です。
どう見ても右側の屋根や壁が歪んでいますし。

 

 

 

正面入り口だって崩壊してるし…。

 

まぁ、中へお邪魔します。

 

 

 

※前回に続いてですが、廃墟への訪問は様々な理由で大変危険なのでお勧めしません。(廃墟内で死亡事故が起きた例も実際にあります)
「どうしても」という方は、一切自己責任で。

 

 

 

入ったのは建物の一番左側、赤い庇(ひさし)があるトコロから。

 

流石は明治に開校したらしい学校、傷みこそ激しいですが重厚感があります。

 

 

 

先の画像の撮影位置からすぐ右側には、板張りの小さな部屋。
“小さい”と言っても、普通の住宅の一部屋よりは遥かに広いです。

 

尚、画像中央の箱から飛び出ているのはゲートボールのスティックです。

 

 

 

ほら。

 

(個人名が載っているので公開しませんが)部屋には3枚の賞状が飾られており、うち1枚はゲートボール大会に関するもの。

もう2枚は肝心の部分が隠れているのでよく分かりませんが、ゲートボール大会の賞状と同じ名前のチームを表彰しているので、まぁこれもそれらに関する賞状でしょう。

 

 

 

部屋の全景。

 

誰が置いたか、壇上の瓶とボールが良い配置。
たまーに廃墟って、何者かに移動させられた家具等がすごく洒落た雰囲気になってる事があるんですよね。
あるホテルの廃墟には、“置き去りにされたウイスキーの瓶”や“カウンターに突き立てられて自立したボールペン”、“広くて薄暗い部屋の中央に、堂々と置かれた高そうな椅子”など、なんだか妙に掻き立てられる光景がいくつもあって…。

 

〜まぁそれはいいや、そのまま正面に見える廊下へ。

 

 

 

おぉーぅ、この木造の長い廊下、素晴らしい!

 

「養老天命反転地か」と疑いたくなる床のうねりようですが、ただ老朽化や腐朽が進んでいるだけ。
多分、ここは適当に歩くと本当に抜け落ちます。

 

 

まぁうねりはさておいて、木造の廊下でこれだけの規模を有するは中々のレアもの。
明治から続く老舗旅館とか行けば見かけそうですけど、そういうところに行く機会が無いもので。

 

 

 

廊下を撮影した位置から振り返ったところ。

 

木札が幾つかぶら下がっていますが、よくよく見ると「寄贈 昭和八年」との焼印があり、地球儀やボール、火鉢などが寄贈された模様。

今の時代なら、授業用のタブレットPCとかが寄贈されるんですかね。

 

 

 

廊下を数歩進んですぐ右に見える、この校舎の大半を占めるであろう広い教室。

これまた質素ながら立派な造りで、ひっきりなしに聞こえる牛の鳴き声も相まって、タイムスリップしたような錯覚が味わえます。
表に見えるバイク(今回乗ってきたモノ)が雰囲気ぶち壊してますね!

 

 

 

教室。
…なんでしょうけど、現在の観点で見ると道場みたい。

今は本当に板張りって減りましたもんね、教室の床といえば木のタイルでしたし。

 

 

 

教室中央にある間柱(で合ってますっけ)を横から撮ったもの。

〜もうホントに長くないぞ、この建物。

 

 

 

当時の小学生用でしょうか、結構低い椅子。

ゲートボールをやっている時にこれに腰掛けて、窓から様子を眺める人も居たのでしょう。
座って壊れたりしたら痛そうなので、私ゃ座りませんでしたが。

 

 

 

すぐ近くにある道路のロードノイズを除いて、この光景だけ見たら「のどかな時代、又は異国にでも飛んでいった気分」になります。
※車が走っている時に生じる、タイヤと道路の摩擦音とかそういうの。

 

 

廃墟の魅力って“追体験”だとか“懐かしさ”だとか、そういうところにあると思うんですよ。

・当時、何故ここにこの建物を建てたのか。
・ここでどういった暮らしをしていたか(どう使われていたか)、どうして廃墟になったのか。

〜というのを想像するだけでなんだかワクワクとドキドキが込み上げませんか?
廃墟が好きでこういう記事を読んで下さる人は、既にワクワクしている人だと信じています。

 

 

 

 

 

で、最後にこちら。

 

校舎(校庭)の入り口付近にひっそり佇む小屋、もといトイレ。

 

 

 

どうも、今現在残っている建物(とその周囲の残骸)を見る限り、紹介した3つの建物は渡り廊下を通じて全て繋がっていた様子。

巨大な建築ではないですが、体育館っぽい建物で授業していた子はここまでの道のりが面倒だったろうに。

 

 

 

個室は窓付き。

随分昔に行った「祖母の実家」はこんな感じのトイレでした、もちろん便器はありましたけど。

 

 

 

どうにも、“下の部分”は隣の個室と共有の様子。

ボットン便所って実物を見た事無いものですから、こういうのは勉強になります。

 

 

 

隣の個室。

崩落が凄まじいですが、楕円に切り取られた床板などにその面影を感じます。

 

 

 

個室が4つあり、そのうちの2つは便所ではないよう。
カパカパしている床板をめくって見てみると、便所のそれとは構造が違うのがわかります。
用具入れか、あるいは増設を見越したのか?

 

 

 

(多分)汲み取りの為の開口部。

自身の持てる知識を絞って推察し、廃墟の内外を見回すのが楽しいのです、ホントに。

 

 

 

しかし、半壊しているとはいえ、良い造りです。
“換気扇の代わりを成す少し高くした屋根”とか、見れば見るほど素晴らしい。

 

 

 

〜と、今回訪れた廃墟はこんな感じ。

 

お店や観光名所とは異なるので、「是非行ってみて下さい」なんて言えたもんじゃないですが、朽ちゆく往時の建物が放つ魅力は、現在使われている建物からは決して味わえないものがあります。

 

廃墟(というより歴史的建造物)を安全に楽しむ方法として、

端島(長崎県のいわゆる軍艦島)
赤レンガ倉庫(神奈川県のショッピングモール。少し前は廃墟だった)
信越本線(群馬県にある国鉄の路線跡。遊歩道及び観光資源として転用されている)

〜などは何(いず)れもしっかりと整備がされていて藪や急斜面、川などに突撃する必要がないので比較的行きやすく、相当の規模を有する魅力的な物件ばかり。

 

こういうところを巡って、先人の叡智や旧い時代の片鱗に触れてみるのも面白いですよ。

 

 

では、今回はこの辺で。

次回もよろしくお願いします。